人生いろいろ、車生もいろいろ。
備後の道路脇で見つけた 朽ちゆく車たち。
凹み、錆び、コケ、ヒビ割れていても美しい 古き時代の宝物。
どんなドラマがあったのだろう…。
誰が呼んだか、草むらのヒーローたちを 小学6年M.Kくんが撮りました。
第77回
草ヒロ(廃車)data ■メーカー:ダイハツ ■車種:ハイゼットトラック(4代目S40P型550cc) ■年代:1976年~1980年 ■場所:井原市西部
井原市西部、有名な観音様近くの山の上、耕作放棄地となった果樹園の斜面で、もうこない農作業の始まりを待ち続ける古びたキミに会いました。
倉庫代わりになっているバンは多いけど、流石にトラックとなると今では滅多にお目にかかれず、親子で出会いを喜びました。
草木が覆い茂った場所にありお役御免となった様子で、“忘却”という言葉がピッタリの佇まいです。
顔を変えながら軽自動車新規格の混乱期を乗り切ったハイゼットの中でも、非常に長生きしたモデルのキミ。
子どもの頃には強面の定番だったキミの顔はサビサビで、泣いているよう。
多分オーナーさんがご高齢となり、作付けはもうできず、キミへの思い入れゆえにここ果樹園の端っこに残されているのかなと想像できます。
サブロクより大きなエンジンを積み“余力のハイゼット550”と呼ばれて、重いものもなんのその。
きっと現役時代にはオーナーに大切にされながら、収穫期にもなるとこの果樹園を走り回っていたことでしょう。
ボディは全身に深いサビを纏い、天井にはぽっかりと穴が開いてしまい、果たしてあと何回四季を乗り越えられるのか、という姿。
撤去が進むこのご時世ですが、大型車の入れない細い未舗装道路のどんつきなので、今後も撤去されることなく、まだまだ安泰のはず。
これからもこの地で、余生を過ごして生き延びてゆくのでしょう。
あまり人の来ない所なので、寂しさや不気味さを少々感じたけど、天気も良く、美味しい空気の中、のんびりじっくり夢中になれた草ヒロ観察でした。
ちょっとうんちく
ハイゼットキャブ 平床一方開 スーパーデラックス
4代目
累計販売台数50万台を越えたハイゼットがスタイルを一新しフルモデルチェンジし、曲線基調の親しみやすいデザインで、イメージカラーはイエローとしました。この頃は商用車らしい積載性能だけでなく、乗り心地、居住性、操作性、乗降性、安全性など人間性尊重のクルマが求められるようになっており、それに対応してハイゼットも進化しました。
全長:2,990mm 全幅:1,295mm 全高:1,585mm
ホイールベース:1,680mm トレッド:前1,110mm 後1,100mm
エンジン:水冷2サイクル直列2気筒
排気量:356㏄
最高出力:26PS/5,500rpm
最大トルク:3.7kg•m/4,500rpm
(スペックは代表例です)
1970年代の世の中は・・・
安定経済期に移り、人々の生活も豊かになりました。1971年にはマクドナルドが東京銀座に初出店し、若者が大挙して訪れました。一方、1973年・1979年にはオイルショックが起き、人々の生活に大きな影響を与えました。トイレットペーパーの買いだめにより、パニックともいえる騒動が発生しました。自動車業界では、経済成長に伴う公害問題への関心の高まりとともに、自動車の排出ガス規制が強化され、各社新型エンジンを開発するなど、環境対応が加速しました。
ダイハツ公式HP ハイゼット60周年特集より抜粋
この車は愛嬌のあるフロントマスクゆえに「ドラえもんハイゼット」とも呼ばれていました。
撮影の車は1976~79年の間のモデルで、AB型4サイクルエンジン直列2気筒SOHC547ccモデル。
最大積載量350kg積みの4速マニュアル仕様でした。
4代目(S38P/S38V/S40P/S40V)
トラック
S38P型(360ccモデル) 1971年-1981年
S40P型(550ccモデル) 1976年-1980年
バン
S38V型(360ccモデル) 1972年-1981年
S40V型(550ccモデル) 1976年-1980年
歴代ハイゼットの中で後述する9代目トラックに次いで息の長いモデル。特に360ccは軽免許ユーザーに配慮して厳しい排出ガス規制を何とか乗り切り、5代目や初代アトレーと併売された。
・1971年9月
トラックを先行フルモデルチェンジ(S38P型系、1方開きと3方開きの2種類)。
・1972年2月
バンをフルモデルチェンジ(S38V型系)。バンのリアドアは軽自動車初のスライドドアとなる。リアスライドドアは両側に設定され、左右どちらからでも荷物の積み降ろしが可能であった。トラックの荷台は全て平床となった。バンのバックドアは先代の横ヒンジドアから上ヒンジドアへと変更され、雨天時も屋根代わりになり、「大切な商品を濡らさない」と運搬業者から好評を博した。さらにパネルバンもラインナップされており、こちらも雨やホコリを嫌う商品を扱う業者に好評だった。4代目もトラックは一方開きと三方開きの2タイプあり、用途に応じた選択が可能であった。
・1974年9月
マイナーチェンジ。後に一部のユーザーから「ドラえもんハイゼット」と呼ばれるほど愛嬌のあるフロントマスクも形状変更が行われたほか、360cc2サイクルのまま1975年1月から実施される軽自動車の道路運行法改正に伴う現行の黄色ナンバーに対応した改良を実施。キャッチコピーは「愛着のハイゼット360」。
・1976年4月
550cc 4サイクル直列2気筒SOHCエンジンAB型搭載車(S40系)追加。キャッチコピーは「余力のハイゼット550」。
550ccエンジン車はバンパーが大型化され、全長がバンで100mm、トラックで50mm延長されている。
・1979年4月
後述のハイゼット55ワイドのマイナーチェンジを受け、フロントグリルが黒色化され、フロントバッジがすべて「HIJET」に統一されたため、前方からは360ccか550ccかの見分けが付きにくくなる。
・1980年4月
550cc(S40系)販売終了。軽限定免許では新規格軽自動車の運転は認められないため、360cc(S38系)は、当時50万人ほどいたといわれる軽限定免許ユーザーへの救済策のため、次世代550ワイドが販売を終了した後の、1981年8月まで継続販売されることとなった。
wikipediaより抜粋
※懐かしい廃車たち(出来るだけ天然モノ)を小学生撮影隊と一緒にのんびりと探索・撮影・紹介している趣味コンテンツです。
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