人生いろいろ、車生もいろいろ。
備後の道路脇で見つけた 朽ちゆく車たち。
凹み、錆び、コケ、ヒビ割れていても美しい 古き時代の宝物。
どんなドラマがあったのだろう…。
誰が呼んだか、草むらのヒーローたちを 小学5年M.Kくんが撮りました。
第21回
草ヒロ(廃車)data ■メーカー:スズキ ■車種:アルト(初代) ■年代:1979年〜1984年 ■場所:井原市南部
井原市南部の林道を走っていると、木々の間に埋もれている何かと一瞬目があったのでUターン。
周囲の草木をかき分けて出てきたのは、なんと愛らしい丸目の彼女(初代アルト)でした。
恐らく空冷2サイクル3気筒エンジン搭載の初期型と思しき彼女。
北斜面の小川沿いで湿気が多いこともあり、自慢の銀ボディ(クリスタルシルバー・メタリック)は容赦なく錆びてグッサグサのボッロボロというありさま。
でもこんがりと錆びたボンネットと、その上にこんもり被さる枯れ葉がよく馴染んでベストマッチだよ。
これから寒くなるけど枯れ葉のお布団を被って、温かくして冬ごもりしてね。
杉林に囲まれた場所でなんとも寂しげに、自然に還ろうとしている彼女でした。
※赤アルトはNo.010をご覧ください。
ちょっとうんちく
1970年代のなかば、軽自動車と小型車の価格差縮小や、軽自動車の車検制度導入などによって軽自動車は競争力を失っていた。一方で女性ドライバーが急増していた。
そこで当社は女性ドライバーに狙いを絞り、「暮らしに役立ち、優れた経済性をもつ車」、「物品税のかからない商用車規格でありながら、乗用車スタイルの車」の開発に着手した。45万円以下を目標価格とし、徹底した工程の合理化や部品点数の削減、ワングレード化などを進めた。
こうして1979年5月、自動車業界初の全国統一車両本体価格と、47万円という低価格でアルトを発売した。上級小型車の縮小版とは異なる価値観を表現したアルトは大ヒットした。
アルトの発売後、他社も軽ボンネットバン市場に参入し、女性ユーザーを中心に市場が急拡大したため、1970年以降に下降傾向だった軽自動車の販売台数がV字回復した。
1989年には消費税導入と物品税廃止によって軽ボンネットバンの価格優位性が薄れたため、ラインアップを軽商用車から軽乗用車に拡大した。その後も時代のニーズに即したモデルチェンジを続けた。
車名のアルトはイタリア語で、才能などが「秀でた」を意味する。
快適・機敏・安全に走るという車本来の機能を追求した軽ボンネットバン。機能優先のシンプルなスタイルで、直線的な安定感のある2BOXスタイルを採用。FF方式により、ゆとりある室内スペースと大きなリヤラッゲージスペースを確保した。当時は4ナンバーの商用バン規格は物品税がかからなかった。そのため徹底的なコストダウンと合わせて当時として画期的な全国統一価格47万円という価格を実現したところ大ヒット商品となった。エンジンは当初2サイクル3気筒550cc。1980年には2速のフルオートマチック車を、1981年10月には4サイクル3気筒550ccエンジンを追加した。(SUZUKI DIGITAL LIBRARY 引用)
47万円にするためのコストダウンは徹底していた。
例としては
・助手席側のドアにはキーホールが付いていない。
・ラジオやシガーライター、リアウィンドウ熱線や左側のドアロックはオプション設定。
・ウィンドウウォッシャーは電動ポンプ式ではなく、ステアリングコラムのところについているゴム球ポンプを手で押すという手動噴射型。
・シンプルなシート、ベニヤ板を背板に使った後部座席、廉価なグレー塗装のスチール製バンパーなど、ほか装備も極力簡素なものにしている。
ボディは3ドアハッチバック。
エンジンは水冷直列2ストローク3気筒T5B型539ccを搭載。最高出力28ps-5500rpm、最大トルク5.3kgm-3000rgm。燃費はリッター26km、全長3.195m×全高1.335m×全幅1.395m。駆動方式はFF。トランスミッションは4速MT。全国統一価格47万円。
※赤アルト(4ストローク・2AT仕様)はNo.010をご覧ください。
令和5年1月、近くまで来たので彼女を見に寄ってみました。
※懐かしい廃車たち(出来るだけ天然モノ)を小学生撮影隊と一緒にのんびりと探索・撮影・紹介している趣味コンテンツです。
※内容については正確な情報とは限りませんのでご了承ください。
※撮影場所については、部品取りやいたずら防止のため一切シークレットです。
※掲載後の情報提供や現存確認は一切しておりません。
※画像の無断転載・コピペはおやめください。